オリンピックは「平和の祭典」だという。その思想の源流は古代オリンピックが開かれたギリシャにある。戦争が絶えない中でも、オリンピアでの祭典競技は神にささげる宗教儀式として重要視された

▼競技に参加する選手や観戦者を戦火から守らねばならなかった。このため、競技期間の前後を休戦とする協定が結ばれることになった。現地語で「エケケイリア」と呼ばれる。「手を置く」という意味で、武器を手放すことを指した(舛本直文「オリンピックは平和の祭典」)

▼この精神は現代にも受け継がれた。国連総会で五輪やパラリンピック期間の休戦を求める決議を採択するのが恒例になっている。パリ五輪・パラリンピックについても昨年採択された。しかしウクライナやパレスチナ自治区ガザをはじめ、世界各地で戦火はやまない

▼「平和の祭典」という理想の形骸化が指摘されて久しい。ロシアがウクライナに侵攻したのは、2022年北京冬季五輪・パラリンピックについて決議された休戦期間のさなかだった。近代五輪の歴史を振り返れば、政治や国家間の争いに翻弄(ほんろう)された歩みでもあった

▼パリ五輪の幕が開いた。今回、ロシアとベラルーシは国としての参加が認められていない。五輪が掲げる理想の火は、現実の逆風の前に大きく揺らいでいる

▼それでも、国や人種、宗教の壁を越えて交流を広げ、友情をはぐくむ土壌が五輪にはある。限界に挑む選手たちの姿には心を揺さぶられる。理想の追求を諦めてはなるまい。

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