
戦争のない世界を願い開かれた平和の森コンサート=7月31日、長岡市
1945年8月1日の長岡空襲1945年8月1日午後10時半から1時間40分にわたり、米軍のB29爆撃機125機が16万発以上の焼夷(しょうい)弾を投下した。長岡市の当時の全戸数のうち8割にあたる約1万2千戸が焼失。7月20日の模擬原爆の犠牲者4人と合わせ、判明しているだけで1488人が亡くなった。大花火大会が有名な長岡まつり(8月1~3日)は、空襲翌年の46年に開かれた「長岡復興祭」を起源としている。から79年になるのを前に、犠牲者を追悼する「平和の森コンサート」が7月31日夕、新潟県長岡市本町3の平和の森公園で開かれた。地域の子どもやウクライナ出身の演奏者らが戦争のない世界を願い、歌や演奏を披露した。
長岡空襲では、7月に投下された模擬原爆と合わせ、判明しているだけでも1488人が犠牲になった。平和の森公園の脇を流れる柿川では、炎から逃れようとした多くの人が亡くなった。公園には、...
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