
なぜ萬代橋の写真かというと、この現在の「三代目萬代橋」が完成した1929(昭和4)年、初めて渡った1人が、その斎藤隆夫氏だったからだ。8月23日の「渡橋式(開橋式)」に内務大臣の代理として、政務次官を務めていた斎藤氏が出席。三松武夫県知事らと新しい橋に足を踏み入れた。いわゆる「反軍演説」はそれから11年後のこと。さらに100年近く経った今、石破茂首相が10日、戦後80年に合わせた先の大戦に関する見解表明で「反軍演説」に言及する考えだという。令和の時代に再び日の目を浴びようとしている演説と一連の騒動を、当時の地方紙「新潟新聞」はどう伝えたか。古い紙面から振り返ってみたい。
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反軍演説
「反軍演説」は1940(昭和15)年2月2日に国会で行われた。新潟日報の前身の一つ、新潟新聞の翌日付の紙面が残っている。

中央上にある「事変処理を明示せよ 斎藤隆夫氏政府に食下がる」(字体変更あり)という見出しがその記事だ。記事は、演説を要約するような形で記述されている。
演説の内容は1937(昭和12)年に起きた日中戦争が長期化する中、米内光政内閣の対応について衆院本会議で質問しているものだ。議事録上の多くは削除されたが、...
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