熱戦に沸いたパリ五輪とは次元が異なるが、まだまだ終わらない夏場の戦いがある。帽子をかぶり、手袋をはめ、敵に向かう。肩に背負うのはエンジン式刈り払い機。手ごわい雑草との戦いに挑む
▼この時季、農村部にある実家の庭は伸び放題の草でジャングルと化す。近所に申し訳なく、時々刈りに行く。除草というより伐採に近い。とても1日では終わらず、すぐまた伸びるのが憎たらしい
▼雑草を表す外国語の意訳が興味深い。ドイツ語は「植物にあらず」。フランス語とスペイン語は「質の悪い草」。イタリア語では「醜くて役に立たないもの」を指すという(ニーナ・エドワーズ「雑草の文化誌」)。国境を超えた共感がうれしいような
▼「雑草という名の草はない」と言ったのは植物学者の牧野富太郎だが、草刈り中にそんなまなざしを向ける余裕はない。切って切って切りまくるだけだが、シソやアスパラガスが交じっているのは見て分かる。これは雑草とも言えない
▼前述の文化誌には「生えてはいけない場所に生えたら雑草。バラが小麦畑に繁茂したら雑草になり、根こそぎ抜かなくてはならない」とある。雑草かどうか決めるのは環境や人の主観であり、草に罪などない
▼かつて実家の庭には野菜や花が植えられ、質素でも豊かな暮らしがそこにあった。その庭を荒れ地にしたのは他でもなく、放置している後継ぎである。離れた実家を管理する人は増えているだろうと思いを巡らせつつ、目の前の雑草の制圧にいそしむ。