同じものを見るにしても、人によって捉え方が異なることはある。簡単には溝を埋められない認識の違いもある。つくづくそう思ったのは、ある映画を見たから
▼新潟市の映画館がこの夏、ドキュメンタリー映画「蟻(あり)の兵隊」(2005年製作)を上映した。太平洋戦争終結後も上官の命令で中国に残留し、終戦から9年後にようやく帰国した男性を追った作品だ。男性は胎内市出身の奥村和一さん。既に鬼籍に入っている
▼残留兵約2600人は祖国復興を大義に中国の内戦に加わり多くの戦死者を出すが、帰還すると国は軍命はなかったとその存在を黙殺した。奥村さんらは国を相手に裁判を闘う。その過程で日本軍の加害性もあぶり出される
▼映画の終盤、靖国神社での集いでスピーチした元軍人の男性に対し、奥村さんが「侵略戦争の美化ですか」と問いかける場面がある。男性は戦争の目的は自存自衛だと明記する「開戦の詔書」を読み直せと感情をあらわにする
▼映画館で上映後に作品解説した監督の池谷薫さん(65)は、このシーンが持つ「痛み」について語った。「あの戦争が侵略だったのか自衛の戦いだったのか、日本は何の決着も付けずに今に至っている。その事実を突きつけられる痛みなんです」
▼太平洋戦争とは何だったのか、戦後79年を経ても見解が定まっているとは言えない。立ち位置の違いで、導き出される教訓は異なってくる。次代に平和の尊さを伝えなければならない。けれどきっと、それだけでは足りない。