平安時代の「枕草子」と鎌倉時代の「徒然草」は随筆文学の双璧とされる。不思議なことに、この二つの作品は台風についての書きぶりが同じなのだ
▼秋の嵐をかつては野分と言った。枕草子は「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」。徒然草も「野分のあしたこそをかしけれ」だ。共に台風の翌日を「をかし(趣がある)」と評している。台風一過は晴れたかもしれない。しかし大きな被害が出ていたかもしれず、そんな状況に心引かれたのはなぜなのか
▼気象庁予報官だった平沼洋司さんは、そこに日本人の風流を感じるという。自然は時に優しく、時に牙をむく。自然のそうした営みを「すべて受け入れた後のあきらめからの感情なのでしょうか」と「空の歳時記」に書いている
▼決してあらがえない気象を宿命と捉え、やりすごす。自然への畏敬もあったろう。とはいえ現代の台風は風流などと言っていられるだろうか。地球沸騰時代の野分である。列島の6~8月は2年連続で過去最も暑い夏となり、猛暑日の延べ日数は昨年から3割も増えた
▼温暖化により大気の流れが変化し、台風の移動速度が遅くなっているという研究結果もある。8月下旬の台風10号は鹿児島に上陸してから行き先を失ったように迷走した
▼台風の寿命は平均5・2日。10号は10日以上の長寿となり、風雨被害を広げた。9月は本土への上陸が増える。新米やブドウ、ナシなどの出来秋でもある。どうか穏やかに。「をかし」の時代は過ぎた。