会場の大歓声は、どんなふうに聞こえただろうか。無観客の東京大会とはまるで違ったはず。今は悔しさとともに思い出すのかもしれないが、胸を張って新潟へ報告に来てほしい

▼パリ・パラリンピックの戦いを終えた上越市出身の石浦智美選手(36)は「このままで終わりたくない」と語った。本県唯一の日本代表として最も重い視覚障害の枠で競泳4種目に出場したが、本来の力を出し切れなかった

▼昨年末から日本新記録を連発し、50メートル自由形は世界ランク1位の金メダル候補だった。レース後「メンタル的に崩れて」いたと明かしたが、心身のコンディションを整える難しさと闘っていたのだろう

▼15歳で都内の学校に進学した。転職をした。リスク覚悟で目の手術に踏み切った。全て競技のためだった。「人生をかけて」とたびたび口にし、パラ五輪の扉は4度目の挑戦でこじ開けた。不本意な結果にも「この経験を次につなげられるよう努力したい」と言葉を絞り出す

▼パリ五輪と同じ時期、甲子園の高校野球では滋賀学園のスタンド応援が話題になった。ベンチ外の部員がキレキレのダンスを踊り、初の8強進出を後押しした。交流サイト(SNS)で「ダンスするために野球部に入ったのか」とやゆされたが「感動。泣けた」との反応も。試合に出られない無念の深さを知る人だろう

▼勝利は尊いが、見る者が心を動かされるのは懸命な姿があればこそ。レギュラーになれなくてもメダルには届かなくても、伝わるものは伝わる。

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