その個体は1羽だけになっても巣作りをやめなかったという。石川県の能登半島に生息し、本州最後のトキとなった個体である。能登では1964年以降、確認される個体はこの1羽だけになった

▼繁殖期になると白い羽が灰色に変わる。子孫を残す能力がある証しだった。繁殖の相手を求め、飛びながら鳴き続けた。しかし、いくら鳴いても相手が現れることはなかった

▼「能(の)里(り)」と名付けられたその個体は70年、人工繁殖のため捕獲され、仲間がいる佐渡トキ保護センターに送られた。性別は雄と判明し、センターにいた雌の「キン」と同居することになった。繁殖の期待を集めたが、果たすことなく翌71年に息を引き取った

▼かつて能里が羽ばたいた能登の空に、トキが放たれることになるようだ。早ければ2026年度の予定で、本州では初の放鳥になる。佐渡のように自然下で卵を産み、ひなを育てる姿が見られるようになるだろうか

▼その能登は、ことし元日の大地震で打ちのめされた。被災者の暮らしの復興はまだまだ道半ばである。トキの生息域となる、里山の田んぼの復旧もこれからで「トキの受け入れどころではない被災者もいる」といった声も聞こえてくる

▼被災地の復旧・復興が急がれるのは当然だ。ただ、地域はいずれ日常を取り戻す段階を迎えるはず。そうなった時に、放鳥が復興の象徴として地域を勇気づけられればと思う。何度でもよみがえる不死鳥フェニックスのように、能登の空に舞うトキを見てみたい。

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