「どのように悪い結果に終わったことも、そもそもの動機は善意であった」。古代ローマの礎を築いたカエサルの言葉である。作家の塩野七生さんが以前、雑誌の企画で紹介していた

▼塩野さんは弾圧や粛正を繰り返したヒトラーとスターリンを引き合いに述べた。「善意で始めたことが何で悪い結果になったのか考えない限り、われわれは歴史から一つも学べない」

▼一度は死刑が確定した袴田巌さんに再審無罪の判決が下った。事件発生から58年。袴田さんは47年7カ月にわたって自由を奪われ、拘禁症で心を病んだ。意思疎通も難しい。取り返しのつかない冤罪(えんざい)の罪深さを踏まえ、塩野さんの指摘を反芻(はんすう)する

▼警察の非人道的な取り調べや見込み捜査が明らかになり、26日の判決は証拠衣類と自白調書の捏造(ねつぞう)を認めた。暗たんとする。ただせめて、捜査員らの悪意から始まった過ちではないと信じたい

▼当時の捜査機関は惨殺された一家4人の無念、遺族の悲しみを晴らすべく、事件解決へ執念を燃やしていたはず。どこで何を間違えたのか。正義の実現がメンツの死守にすり替わりはしなかったか。虚心坦懐(たんかい)に司法関係者は見つめ直してほしい

▼人は間違う。それを認めた上で、悲劇を繰り返さない仕組みを作らねばならない。審理が途方もなく長期化しがちな再審制度の改善に手を尽くしたい。メディアの安易な犯人視報道の検証も必要だ。「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」。司法界の格言の重みをかみしめる。

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