第2次大戦中から戦後にかけ、ブラジルでは多くの日本人移民が迫害を受けた。1943年に起きた、港町サントスでの「強制退去」も歴史に刻まれている
▼サントスは日本からの最初の移民船・笠戸丸の到着地として知られる。連合国側についたブラジルはサントス沖で商船が攻撃された際、日本人をスパイとみなし、収容所などに送った
▼排斥の様子を著書「南米の戦野に孤立して」にまとめたのが、新発田市出身の岸本昂一である。新発田農学校を卒業後、22年に妻子とブラジルの地を踏む。農業に携わりながら、私塾「暁星学園」をつくり、子どもの教育に力を注いだ。69~71年にはブラジル県人会の第3代会長も務めた
▼文筆家としての顔も併せ持つ。「コロニア」と呼ばれる日系社会に向けた雑誌を創刊すると南米各地の開拓地を訪ね歩き、ルポも著した。47年刊行の「南米の-」は内容が国益を損なったとして押収され、自身も獄につながれた
▼この本の中で岸本は強制退去を旧約聖書になぞらえ「大南米におけるわれらの出埃及(エジプト)記」と例えた。モーゼに率いられたヘブライ人がエジプトを逃れる苦難の歩みに移民を重ねたのか。立ち退きを迫られたのは約6500人に上った
▼今年7月、ブラジル政府は一連の行為を謝罪した。邦字紙「ブラジル日報」の深沢正雪編集長は「移民の迫害を伝えた岸本の功績は大きい」と話す。戦後80年を前にした世界最大のコロニアの名誉回復を、かの地に眠る岸本はどう受け止めただろうか。
