兵庫県立大学大学院の澤田雅浩准教授
兵庫県立大学大学院の澤田雅浩准教授

 中山間地が大きな被害を受けた2004年10月の中越地震2004年10月23日、新潟県中越地方を震源として発生した地震。旧川口町(現在の長岡市)で震度7、旧山古志村、旧小国町(いずれも現長岡市)、小千谷市で震度6強を観測した。新潟県や内閣府の資料によると、地震の影響で68人が亡くなり、4795人が重軽傷を負った。住宅の被害は計12万1604棟で、このうち全壊は3175棟、大規模半壊は2167棟、半壊は1万1643棟だった。から20年が過ぎた。住民は地震直後から助け合い、前に進んできた。集団移転を決断したムラ、移住者と手を携え、過疎にあらがう集落もある。ムラを次代にどうつなぐか-。ここから2回はインタビュー編。今回は、都市防災が専門で、中越地震の復興プロセスについて検証を進めている兵庫県立大大学院の澤田雅浩准教授(52)に被災地の20年間の歩みや震災の教訓を聞いた。(5回続きの4)

-中越地震は中山間地が大きな被害を受けました。

 「過疎高齢化の傾向に拍車がかかり、集落の衰退が加速する懸念があった。中山間地では集落の共同生活が個々の暮らしの一部として重要な役割を果たしている。中越地震では集落単位で避難所、仮設住宅に入居したことで、避難先でもコミュニティーの機能が一定程度、維持できた」

-集落機能を維持して避難生活を送る「中越モデル」の効果はどうでしたか。

 「仮設に入るまでの準備期間は少し余計にかかったが、古里と連続性のある生活ができるよう、さまざまな工夫がなされた。このため2、3年に及ぶ避難生活は比較的問題が少なく、1995年の阪神大震災で問題になった孤独死の認知件数もほとんどなかった。復旧から復興にうまくバトンをつなぐことができた」

-中越モデルは教訓として引き継がれていますか。

 「残念ながら、継承されていない。2011年の東日本大震災以降、賃貸住宅を無償で提供する『みなし仮設』が増えた。コストが削減できる上、自立した避難生活が送れる人にとっては有効だ。一方で、中山間地の人々が大切にしている集落や田畑、人間関係からは切り離されてしまう。個々の住宅再建だけでなく、集落との関係性や生活に思いをはせた上で対応を考えなければいけない」

-中越地震では中間支援組織やボランティアが活躍しました。

 「外部と交流しながら復旧・復興に取り組むことで、住民が集落の豊かさに気付くきっかけになった。外部の人も被災地で足りない部分を補いたいと思う気持ちが芽生えるなど、相乗効果があった。関係人口の大切さを肌で感じたはずだ」

-かつての被災地の現状を、どう見ていますか。

 「少子高齢化が進み、震災前の地域振興という課題に立ち戻っている。震災10年を過ぎたころから基金や行政の支援がなくなり、活動が属人的だった地域では取り組みが続かない所もある」

兵庫県立大学大学院の澤田雅浩准教授。中越地震について語る

 「震災後の対応や令和のコメ騒動を見ていると、...

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