
「中越大震災20年復興感謝祭」と題し開かれた牛の角突きに県内外から多くの人が訪れた=2024年10月23日、長岡市山古志南平乙の山古志闘牛場
中山間地が大きな被害を受けた2004年10月の中越地震2004年10月23日、新潟県中越地方を震源として発生した地震。旧川口町(現在の長岡市)で震度7、旧山古志村、旧小国町(いずれも現長岡市)、小千谷市で震度6強を観測した。新潟県や内閣府の資料によると、地震の影響で68人が亡くなり、4795人が重軽傷を負った。住宅の被害は計12万1604棟で、このうち全壊は3175棟、大規模半壊は2167棟、半壊は1万1643棟だった。から20年が過ぎた。住民は地震直後から助け合い、前に進んできた。集団移転を決断したムラ、移住者と手を携え、過疎にあらがう集落もある。ムラを次代にどうつなぐか-。発生直後から、被災地を支えてきた長岡造形大名誉教授の平井邦彦さん(80)=都市計画=と、中越防災安全推進機構(長岡市)理事の稲垣文彦さん(57)=ふるさと回帰支援センター副事務局長=に被災地の20年間の歩みや震災の教訓を聞いた。(5回続きの5)
新しい世代が出てきて地域を引っ張って/長岡造形大の平井邦彦名誉教授
-中越地震の特徴をどう捉えていますか。
「中越地震の被災地は、錦鯉や闘牛などを通して外部と交流する文化があり、震災で支援者らが入った際にもすんなり受け入れられた印象がある。地域を誇りに思い、人と交流し、楽しませる知恵がある人が多くいた」
-被災地の再建に向けた取り組みは、復興基金の事業の支えもありました。

「東日本大震災では行政が事業案を作ったが、中越は財団が運営した。行政側と切り離したことで、より地域の声を反映しやすくなった。先が見えない状況の中、事業案を考えるために地域のことを話し合い、要望を実現できたことは住民の希望になったのではないか。被災地を支える地域復興支援員の人件費に使った点も意義深い」
-近年は、...
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