甚大な被害をもたらした中越地震から、きょうで20年がたつ。今も折に触れて思い出す場面がある。現在は長岡市になった川口町では当時、自衛隊が設置したテントで避難生活を送る被災者がいた

▼被災から1カ月ほど過ぎた時のこと。ある一家が親戚宅に身を寄せることになった。「引っ越し」を前にした夜、テント村の一角でささやかな送別会が開かれた。和やかな時間が流れていたが、ふとした拍子に会話が途切れた。それきり誰も言葉を発しなくなった

▼沈黙は1分ほどだったかもしれない。それでも、いたたまれないほど長く感じた。そのうち鼻をすする音が聞こえてきた。誰かが声を振り絞るように言った。「この先、どうなるのかな」。周囲はまた沈黙に包まれた

▼もしも今、当時の被災者に声をかけられるなら「みなさんの頑張りで地域は復興しますよ」と教えてあげたい。けれど当然ながら、あの頃は先行きがなかなか見えなかった。日頃「何とかなるさ」と笑顔を見せる人も、ふと表情に陰りが差すことがあった

▼過酷な状況に置かれても己を奮い立たせ、前向きに振る舞う人がいる。しかし、その裏側には悲しみや苦しみが潜んでいる。時が流れ、復興が一定程度進んでも、心の傷を覆い隠して生きる人は少なからずいるのだろう

▼中越地震の後も、災害は頻発している。能登の大地震に追い打ちをかけた豪雨から1カ月がたった。笑顔を取り戻した被災者もいるだろうか。だとしても、その陰には深い傷があるはずだ。

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