
アルビレックス新潟をアルベル監督から引き継ぎ、3年間指揮を執った松橋力蔵監督。J2優勝、J1昇格を成し遂げ、YBCルヴァン・カップではクラブ史上初のタイトルまであと一歩に迫った。決して資金的に裕福でなく、選手層も厚くはない地方のクラブが、トップレベルで戦い続けるために、松橋監督の「言葉」の力は大きかった。12月13日、力(りき)さんと呼ばれて親しまれた監督の退任が発表された。節目ごとの言葉を振り返る。
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「J1に近づくのではなく、行く」
2021年12月・就任会見
2021年はシーズン序盤からJ2の首位を走ったが、後半に失速し、結局6位に終わった。アルベル監督の退任に伴い、監督に就任したのが松橋力蔵監督だった。J2降格後、16位、10位、11位、6位と、J1との距離は近づいていたものの、新指揮官ははっきりと「行く」と断言した。トップチームの指揮は初めてだったが、「目指す」でも「狙う」でもなかった。すでに道筋は見えていたのかもしれない。
新チームの始動時にはビッグスワンの写真を見せ、「今年、ここにトロフィーを置いて、多くのファミリーと満員のスタジアムで写真を撮るぞ」と選手たちに呼び掛けた。

「限られた時間の中、できることを」
2022年2月・キャンプ中
結果的にJ2優勝、J1昇格を成し遂げた2022年シーズンだったが、決して順風満帆ではなかった。ウイルス禍で調整が遅れ、開幕に不安を口にする選手もいた。しかし、指揮官は常に前を向き続け、できることに集中させた。
「自分も甘かった」
2022年3月・初勝利
初勝利は開幕5戦目の甲府戦。松橋監督は小さくガッツポーズし、「うれしい気持ちもあるし、ほっとしているのもある」と語った。ただ、押し込まれた後半は「自分も甘かった」と選手交代での反省を口にするなど、監督としての初勝利に浮かれる様子はなかった。ベテランのDF千葉和彦は「アクシデントが続いたが決して慌てるそぶりがなく、一喜一憂せず堂々としていた。感銘を受けた」と早くも監督への信頼を口にしていた。

「彼らを裏切れない」
2022年6月・首位攻防戦に敗れ
試合結果がどうあっても、ほとんど揺れ動くことがない松橋監督。ただ、内に秘めた闘志を垣間見せる瞬間がある。序盤戦の遅れを取り戻し、首位に立った新潟だが、この試合で横浜FCに敗れ、2位に転落した。それでも試合後には、アウェーに駆けつけた多くの新潟サポーターから大きな拍手が沸き、選手たちを励ます光景があった。その瞬間にこの言葉が胸に浮かんだという。「この試合で何か終わったわけじゃない」。そう言ってまた、いつも通りに前を向いた。
「彼の決断を応援して(チームの)パワーにする」
2022年7月・本間至恩の海外移籍に
「それが次に進む上での大きな力になる」(松橋監督)。チームのエースで背番号10を背負った本間至恩がベルギーへ移籍。チームにとって痛手なのは間違いない。その後も同じような事態はあったが、松橋監督のチームにはいつも、選手の挑戦を応援する温かい雰囲気があった。次の試合で勝利し、見事に首位を奪還。星雄次は「至恩がいなくなって(サポーターの)不安を一掃したかったし、至恩も負けると心配するから」と語った。松橋監督は補強について「誰でもというわけではない。スタイルに適応する前に終わってしまうよりは、今いる選手を信じている」「(他の)選手の新たな能力を引き出したい」と語る。実際に、この試合で初めて左サイドハーフ起用された伊藤涼太郎は得点をマーク。シーズン後半に向け、伊藤の存在感は増していった。
「極端な言い方かもしれないが、涙が出そうになった」
2022年8月・栃木戦後
栃木戦ではウイルス禍で禁じられた声出し応援が一部解禁。アウェーだったが、初めて監督として声援を浴びての一言。今季限りでの契約満了が発表された鈴木孝司も「新潟に来て良かったと改めて感じることができたあの日は忘れられません」と振り返っている。
「こういう時に女神が笑ってくれる」
2022年9月・琉球戦後
この琉球戦では、出場機会に恵まれていなかったゲデスや渡邊泰基が活躍。準備を怠らなかった2人を評価した言葉だ。普段から選手の練習への向き合い方をチェックする松橋監督。メンバーを固定せず、臨機応変に選手を起用、「全員戦力」は松橋体制の特徴だった。

「目の前の相手が最強の敵」「トレーニングの景色を変えよう」
2022年~
松橋監督が選手たちに掛け続けた言葉だ。目の前の一戦に集中すること。練習から基準を高く設定して取り組むこと。それをさまざまな言葉で伝えてきた。J1昇格を決めても決して妥協はなかった。3-0で昇格を決めた仙台戦後でも「前半ずっと攻めていたかもしれないが、質は稚拙さが目立つ」と早速課題を口にしたほど、監督が求めるものは高かった。
「新潟超最高!」
2022年・最終節後のインタビュー
2003年の新潟初のJ1昇格時、山口素弘が叫んだ「新潟最高!」が元ネタ。主将の堀米悠斗がそれに習って叫んだ後、松橋監督が「超」を加えてかぶせた。普段から「日本一のサポーター」と語る新潟サポーターへ、最大限の感謝を伝える表現だった。

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「自分たちのスタイルを究極のところまで持っていけるか」
2023年・新体制発表会見で
J1に復帰した松橋体制2年目の新潟。その年の最初に監督が示したのは、ボールをつないでゴールに迫る新潟のスタイルを、J1のレベルでも貫き通す覚悟だった。J2を戦い抜いたメンバーがほぼ残留。基準をさらに一段上げ、質や精度、強度といった個の力も伸ばす必要があった。
「自分が何者なのかを示せ」
2023年2月・J1復帰後初勝利の広島戦
移籍加入した太田修介が初先発。監督からこの言葉で送り出されると、1ゴール1アシストの活躍で応えた。このシーズン序盤は伊藤涼太郎が月間MVPを取る活躍を見せ、パスをつなぐ新潟の特徴的なプレースタイルに注目が集まった。この時以外にも、新加入選手に対して松橋監督は「自分が何者かを示してくれれば十分」とよく語るが、この頃、まさに他のJ1のチームやサポーターに新潟が「何者か」を示した序盤戦だった。
「僕らがやってはいけないのは、ぶれること」
2023年5月・3連敗の中で
相手チームの対策もあり、次第にJ1の戦いに苦しんでいく新潟。ミスからの失点や、ボールを保持しても得点を奪えない試合が続いた。それでも指揮官は信念を曲げることに逆らい続けた。「絶対にぶれてはいけない」と繰り返し、目の前の試合に集中し続けた。
「次が出てくる。彼にできて、みんなができない理由はない」
2023年6月・伊藤涼太郎の海外移籍を受け
前年の本間至恩に続き、伊藤涼太郎という攻撃の核を失っても、松橋監督は前向きな言葉しか発しなかった。三戸舜介の存在感が増し、長谷川巧や渡邊泰基のコンバート、長倉幹樹の獲得など、全員でチーム力を底上げした。時間は掛かったが、後半戦になると、粘り強い守備を中心に戦いぶりは安定していく。

「歯が立たない、勝てないというゲームは1試合もなかった」
2023年12月・最終節後のあいさつ
この年の新潟は10位で終わった。最後は9戦負けなしのまま、1桁順位まであと一歩の位置だった。新潟は6年ぶりのJ1だったが、指揮官はこう振り返った。浮き沈みはあったものの、新潟らしいボールを大事にするサッカーをJ1の舞台でも貫き、終盤戦は試合運びでも成長。選手たちからは「J1の戦いに慣れた」という言葉が上がった。

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