信濃川の流量を調節し越後平野を洪水から守る大河津分水は「東洋のパナマ運河」と呼ばれることがある。パナマ運河は1914年に開通、大河津分水は22年に通水を迎えた。共に当時としては最新鋭の土木技術が投入された
▼双方の工事に関わったのが土木技師の青山士(あきら)だ。大学を卒業後、パナマ運河建設に携わろうと単身で海を渡り、過酷な現場で働いた。勤勉さと実力が評価され、異例のペースで昇進し、設計技師に任じられた。米国人以外で工事の重要ポストに就いた唯一の人物だったという
▼帰国後は東京の荒川放水路、次いで大河津分水の補修工事を指揮した。青山が携わった事業は、いずれも流域の暮らしに安寧をもたらす悲願だった。越後平野は度重なる洪水から解放され、実りの大地に変貌した
▼さしずめ大河津分水の兄貴分ともいえるパナマ運河だが、近年は異変に直面している。地球温暖化の影響で深刻な干ばつに見舞われ、水を節約するために当局が船舶の通過を制限しているという。ことし5月に通過した船舶数は前年同月比で約20%減少したと本紙が伝えていた
▼パナマ運河と共に世界の物流の要衝であるスエズ運河も船舶の利用が激減している。こちらは中東情勢の悪化で、運河につながる紅海で船舶が武装勢力から攻撃される事態が起きた
▼世界の物流が大きく揺れている。本県企業の活動にも影響が出ているはずだ。大河津分水の兄貴分が陥っている窮状は、新潟で暮らす私たちにとっても人ごとではない。