「被災地責任」という言葉がある。災害を経験した地域は教訓を伝え、役立てる必要があるという意味だ。被災者に責任を押しつけてはならないが、体験や教訓を伝えたいとの声に接することも多い
▼2004年の中越地震で、本県は阪神大震災の経験者から多くを教わった。特に学んだのが「コミュニティーの大切さ」。阪神では仮設住宅への入居で地域社会が分断されたため本県では集落ごとに入居した。教訓を生かし、復旧・復興も比較的スムーズに進んだ
▼能登半島地震が起きた石川県では、被災1年が近づいた昨年末に仮設住宅がようやく全戸完成した。ある自治体の担当者は「過去の災害を踏まえ、できるだけ自宅に近い仮設に入居するよう努力した」と話す
▼だが災害の専門家からは教訓が十分に生かされていないという声が上がる。本紙でも神戸大名誉教授の室崎益輝さんが「ばらばらに広域避難し、このままではコミュニティーの再建はままならない」と指摘していた
▼復旧も思うように進んでいない。将来の方針がなかなか示されず、多くの人が自宅をどこで再建するか迷っている。液状化被害が出た新潟市でも、行政による対策が見通せていない
▼「私たちはまだまし」。かつて中越地震の避難所でそんな言葉をよく聞いた。自分も被災者なのに、よりつらい立場の人をおもんぱかって我慢していた。能登の被災者がその姿と重なる。被災者にそう言わせてはなるまい。本県を含め、かつての被災地は何ができるだろう。