「国滅び教」という耳慣れぬ言葉。このままではこの国は滅んでしまうと案じてばかりいる思考を、揶揄(やゆ)した呼び名らしい。さしずめ、その教祖に位置づけられていた人が、今や日本のリーダーである

▼石破茂首相が著書で自虐的に書いていた。憂いの元は国民の政治不信だという。「政治家の言葉を国民が信用しない事態を嘆く前に、政治家は自らに問うべきです。政治家は国民を信じているのか、と」。所信表明演説にも同様の言葉を盛り込んでいた

▼有権者の歓心を買うことばかり心がけ、票にならない痛みを伴う話はしない。そんな態度で国民を信じない政治家を、国民が信じるはずがないと説く。受けが悪くても真実を語り、納得を得ることが政治家の仕事だとつづる

▼原体験があるようだ。反消費税の嵐が吹き荒れた1990年の衆院選で「消費税は絶対必要」と掲げた。票を減らすと周囲は心配したが「うそを言ってまで当選したくない」と押し通し、鳥取全県区トップの得票で再選を決めた

▼首相に就任後、それまで言っていたことは何だったのかと、突っ込みたくなる局面が目に付く。「楽しい日本」を掲げるあたり、もう既に国滅び教から改宗したのかもしれぬが、各野党が存在感を示そうと必死で突きつける要求をどうさばくか、少数与党の国会で胆力が試されている

▼私たちが納める税金の使い道を巡る論議が、手柄を競い合うような党利優先の発想に偏ってもらっても困る。大詰めを迎える与野党交渉に目を凝らす。

朗読日報抄とは?