松田ペットの看板と松田保夫社長=長岡市

 新潟県長岡市のペットショップ「松田ペット」の看板が近年、注目を集めている。ビーグル、チワワ、ヨークシャーテリアの3犬種が並んだ構図で、1枚ずつ手で描かれている。商圏の長岡市を中心に設置され、総数なんと500枚。犬の表情や背景の色などが異なり、手描き故の「個体差」が見る人の心をわしづかみにしている。看板を基にした数十種類のオリジナルグッズが人気で、コラボレーション商品化の依頼も次々と舞い込む。看板絵師が91歳から83歳に「事業承継」を果たすなど、話題にも事欠かない。知れば知るほど奥深い「例の看板」の魅力をひもとく。(報道部・平賀貴子)

いわゆる「例の看板」。犬の配置や向き、背景の色など違いがある

最初は「金魚と鳥」…“例の看板”はいかにして生まれた?

前身は「松田商展」…松田ペットの歴史を追う

 まずは松田ペットについて説明したい。前身の「松田商展」は、松田保夫社長(81)が1972年に創業。信濃川左岸の長生橋近くに店舗を構え、数年後に手描きの看板でPRを始めた。「平均的な月給が数万円だったころで、200円の金魚がよく売れた」といい、初期の看板には売れ筋の金魚と鳥を描いた。

松田商展時代の看板(左上)。右の看板はレア物だ(松田ペット提供)
松田商展の看板が残る旧店舗。昆虫が当たるじゃんけん大会などを企画し、大いに繁盛したという(松田ペット提供)

 87年に社名を「松田ペット」に変更。時代とともに看板のデザインを変えてきた。中でも、絵のインパクトと数の多さで見る人を圧倒するのが、ビーグル、チワワ、ヨークシャーテリアを配した看板だ。2000年ごろ登場し、当時人気だった犬種を選んだ。

 看板は設置場所にもこだわりがある。商圏を意識し、店舗から半径10キロ内に集中。物置や事業所の外壁などに張るケースが目立ち、とりわけ多く分布する長岡市三島地域から与板地域にかけては、ファン必見のスポットとなっている。

いわゆる「例の看板」

 ファンが看板について考察した同人誌「例の看板 フォトグラフ・コレクション」(新稲ずなさん著)が18年に発売され、認知度が上昇。愛好家の間で「例の看板」と呼ばれるようになった。

◆まるで人間!?主張が強い「手描きの犬」を生み出した人物とは…

 まるで人間のような表情をした犬の絵は、どのように生まれたのか。

 50年近く松田ペットの看板絵師を担ってきたのが小千谷市の看板制作業、近藤忠男さん(91)だ。当初は写真を基に制作していたが、習熟するにつれ「写真を見ずとも描けるようになった」。

 このため、作風は写実的なものから漫画風へと徐々に変化。まなざしに強い決意を宿したビーグルや、たくましい首をしたチワワなど個性的な看板が登場し、見る人を楽しませている。

看板を描く近藤忠男さん。背景はカッティングシートを使用。鉛筆で軽く下書きをした後、例の犬を描く=2019年、小千谷市

 個体差のある看板が広範囲に点在することも、好事家の探究心をかき立てる。ファンは交流サイト(SNS)に看板の写真を投稿し、「松田学会」を開いて情報を共有。愛好家の輪は県外にも広がり、松田ペットにはグッズの注文が広島や仙台など各地から舞い込むようになった。

 こうした現象について近藤さんは「そりゃ、うれしいですよ」と語った。

◆衝撃の「画伯引退」…手描きの伝説は“第2章”へ

 24年末、衝撃的なニュースがSNSを駆け巡った。ファンの間で「近藤画伯」と親しまれてきた近藤さんが引退していたのだ。近藤さんは「年を取ったから」と理由を説明した。

 一時は近藤さんの息子が後継者と目されていた。しかし、手描きで枚数をこなすには時間がかかりすぎるといった事情から、松田社長は水面下で人材を探していた。

 後を継いだのは、松田社長の幼なじみで、埼玉県在住の青柳謹一さん(83)だ。教科書大手「東京書籍」(東京)に勤める傍ら絵をたしなみ、さいたま市の市章を手がけるなど、実績も多い。3年ほど前から看板を描き始めたという。

看板絵師を「事業承継」した青柳謹一さん。松田保夫社長とは幼なじみだ=1月、長岡市三島地区

 近藤さんの画風について「油絵や水彩画は黒で輪郭を描かないことが多いが、近藤先生は黒で決め、画線が力強い。遠くから見ても目立つ」と分析。「手描きを貫く姿勢に感動した。伝統を引き継ぐため、模倣に徹したい」と言い切る。

 松田ペットは大学生向けのワークショップを開いて後進を育てる方針だが、松田社長は「あくまでメインは青柳さん。元気なうちはお願いしたい」と強調。看板について「手描きが命。今まで通りコンスタントに月数枚、新しい物に替えたい」と語った。

松田ペットの看板を製作する青柳謹一さん=1月、長岡市三島地区

同人誌で全国的ブームに!著者が語る「世界レベルの潜在力」

長岡市の新稲ずなさん「『MoMA』に飾ってほしい」

 松田ペットの看板の独自性にいち早く注目し、同人誌「例の看板 フォトグラフ・コレクション」でブームの火付け役となったのが、著者で長岡市の新稲ずなさん(37)=ペンネーム=だ。「大量消費の時代に全て手描きというのはレア」と強調し、「推し」の大躍進を見守る。

 2015年に東京から長岡に転居。友人の指摘で、市内でよく目にする看板が手描きだと気付いた。個体差や制作年代ごとに異なるデザインに魅せられ18年、看板の写真を集めて解説した同人誌をまとめた。

 「例の看板-」は東京で開かれた同人誌の即売会「コミックマーケット」で販売。「『面白い』と感想をもらい、ポテンシャルの高さを感じた」。ただ、当時はまだ「マス(大勢の人)に受けるという手応えはなかった」と打ち明ける。

「松田ペットのオリジナル菓子が並ぶスーパーの一角は、ファンの間で『祭壇』と呼ばれていた」と話す新稲ずなさん=長岡市

 潮目が変わったのは、この冊子が手のひらサイズの「豆本」になり、カプセルトイとして全国販売された22年だ。「当初は看板を語ると『変な人』と見られたが、カプセルトイになったことで、より多くの人に魅力を知ってもらうことができた」と語る。

 冊子自体も、長岡市内の書店で週間ランキング1位となる頻度が高まり、JR新潟駅構内などでも販売されて好評を博している。

 看板が注目を集める現状を「グッズがサブカルチャー好きの若者を引き寄せ、交流サイト(SNS)を通じて自然と人気が広がった」とみる。人を引きつける潜在力は世界レベルだと感じており、「米国のニューヨーク近代美術館(MoMA)で、消費社会に疑義を呈したアンディ・ウォーホルの作品の横に飾ってほしい」と語る。

マグカップを皮切りに…20種類のグッズを展開!

商品ごとに違う図柄を用い…2代目担当・高野和真さん

 松田ペットは現在、...

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