立ち枯れた薄茶色のススキが目に付く。見渡す限りだだっ広いやぶ原。海側の一帯には、防災林として育てる無数の苗木が木枠で囲まれていた。目に見える建造物を数えれば片手で足りる。福島県浪江町の請戸地区を、先月初めて訪れた
▼この地にはかつて何があったのか。どんな景観が広がっていたのか。想像力が及ばずイメージを結ばない。東日本大震災で15メートルの津波に襲われてから14年になる
▼震災遺構となった旧請戸小学校の校舎に入った。津波に学校生活が根こそぎ奪われた痕跡を見る。集団避難した当時の在校生らは無事だったという。一方、地区内で多数の犠牲者が出たことを知る
▼見学コースの最後に、かつての請戸の町並みを精密に復元した模型があった。一軒一軒に家主が記されている。息をのみ、ようやく胸に落ちた。荒れ野の向こうに何を見ようとしていたか
▼震災前にぎっしり約500戸の家々が軒を並べた地区は、災害危険区域に指定され住宅建築が制限されている。原発事故による避難指示が解除されたのは地震から6年後。なりわいを取り戻しつつある漁師の奮闘が今は地区の希望の光に見える
▼〈ふるさとは語ることなし〉。海風に吹かれて頭をよぎったのは、新潟市に立つ坂口安吾の石碑だった。碑文からは新潟への思いが肯定的にも否定的にも読み取れる。故郷は「何も語ってくれない」とも解釈できるが、心のよりどころだったとする見方は揺らがないだろう。請戸で生まれ育った人の心情を重ねる。