べらぼうと言えば、今なら横浜流星さん主演の大河ドラマを連想するだろうか。時代をさかのぼれば、1970年の大阪万博で「太陽の塔」を造った岡本太郎が好んで口にした。「べらぼうなものをつくる」「万博はべらぼうなものにしなければならない」(平野暁臣「『太陽の 塔』新発見!」)

▼守旧的な権威を否定する美術界の異端児とされた岡本を、国家的プロジェクトに引きずり込んだのは、元官僚の初代万博事務総長だ。しぶる岡本を「何をやってもいい。一切口を出さない。予算のことはいいから」と口説いた

▼「税金であんなものをつくらせる度量や気概が今の日本人にあるか。どう考えても無理だ」と岡本太郎記念館館長でもある平野さんは著書に記す。太陽の塔は70年万博の象徴になると同時に、高度成長期の熱量の象徴でもあっただろう

▼55年を経て、再び大阪での万博である。2350億円に膨らんだ会場建設費が批判され、IR(統合型リゾート)とセットとされる開発に抵抗感も根強い。デジタル時代に万博なんて不要だという声まで上がる中、ともあれ13日に開幕を迎える

▼工事が遅れ、チケット販売は不振。予行演習で混雑の懸念も露呈したが、多くの国々の多くの人々が関わり始まる以上は、積極的な意味を見いだしたい

▼べらぼうな感動や実益などなくても、訪れた子どもたちが、ずっと記憶に残るものに一つでも出合えたらいい。令和の時代の万博が何だったのか、丁寧な検証は閉幕してからじっくりと。

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