日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まった昨年10月の夜、喜びのメールをくれた。「訳も分からず泣いています」。不安も口にしていた。「核の脅威が迫っているからこその受賞ではないか」
▼世界に核抑止論が広がるのを憂えていた。唯一の戦争被爆国日本が核兵器禁止条約に参加するよう、時に怒りを込めて訴えた。「県原爆被害者の会」事務局長の西山謙介さんが77歳で亡くなった
▼自身は被爆2世だ。陸軍の一員だった父が広島で被爆し、長岡市に帰ってから3年後に西山さんが生まれた。後年、生後間もなく亡くなった姉がいたと知った。母は「その子が広島の毒を持っていったから心配しなくていい」と言った。父は被爆について語らないまま57歳で死去した
▼差別を恐れて被爆2世であることを周囲に明かさなかった。だが2007年にがんが見つかった。死を意識する中で父や被爆者の無念が胸に迫ってきた。翌年、60歳で被害者の会の総会に参加。15年には事務局長に就いた
▼署名活動や被爆体験の継承に奔走しながら、迷いを漏らすことがあった。「被爆していない自分でいいのか」。会員の高齢化で、会の活動を停止する苦しい決断も迫られた。窓口を残して事務局長を続け、講演依頼などに応じてきた
▼何度も体調を崩したが「被爆80年までは頑張りたい」と話していた。節目の原爆忌に何を語ってくれただろう。改めて生前の言葉を胸に刻む。「平和を希求する人の力が核廃絶につながる。決して非核を諦めない」