親交通じ浮かぶ人間性
會津八一(1881〜1956年)は生前、養女の蘭に「俺が死んでも、これを売っていけば、楽に一生送られるぞ」と言って、多くの墨蹟(ぼくせき)などを残した。だが、蘭は八一の遺墨を大切に保管し、記念館の建設を願っていた。蘭の死後、八一を敬慕する個人、企業、団体と県や新潟市の協力を得て、75(昭和50)年、會津八一記念館は同市西船見町に開館した。
収蔵品は蘭の所蔵品を母体とした。以来、50年間、八一と縁の深い人たちや愛好者からの寄贈、寄託を受ける一方、継続的に作品購入も進め、今では約1万2千点に及ぶほど充実したものとなった。
今回の企画展は、...
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