「西村滋さんに会いに行こう!」というウェブサイトがある。西村さんは9年前に91歳で亡くなった作家で、ことし生誕100年を迎えた。サイトには生涯を懸けて訴えようとしたメッセージが詰まっている。一貫して書き続けたもの。それは戦争孤児の物語だ

▼自らも幼くして両親を亡くし、施設を脱走しては放浪する生活を送った。終戦後は東京の戦争孤児の収容所で補導員を務めた。「学校もろくに出ず文学的素養もゼロに近かった」のに作家を志したのは、親を戦争で殺された孤児と共に生きた人間の義務だとする

▼駅地下道などの「狩り込み」で収容される浮浪児は、10代前半の男の子、女の子。けなげでいじらしい子ばかりではなかった。盗みをし、うそをつき、体を売るなどして生き抜いてきた。貧困と暴力にさらされ心を歪(ゆが)め、人間性をむしり取られた子もいた

▼「戦争孤児が真面目に更生したら、戦争の好きなやつらは人間なんていくらいじめてもへこたれないと安心して、また戦争をおっぱじめる。だから俺は真面目になんかならないぜ」。そう啖呵(たんか)を切り反社会的な生き方を貫いた子もいたという

▼「生半可なヒューマニズムでは歯が立たない」孤児一人一人の実像を見つめ、成人後の暮らしにも目を向け、本に刻み付けた

▼「戦争に一番責任のない子どもたちが一番ひどい損害を被るということに我慢できなかった」。西村さんの言葉をウクライナやパレスチナにも当てはめてみる。戦後80年の「こどもの日」である。

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