さんざん知ったようなことを言って、最後にぼそりと付け加える「知らんけど」。2022年の新語・流行語の一つである。確証がないと言い訳する無責任な一言だが、使い慣れた関西では、独特のニュアンスを含む

▼得意な話をしておいて、偉そうにならないよう、さりげなくへりくだる技法であり、熱弁を振るった後の照れ隠しも担う。相手に「知らんのかーい」と突っ込ませるのを前提とした常とう句でもある。庶民的な人情味を感じさせる

▼この人も関西人のはずだが、全く似て非なる言葉遣いだった。自民党の西田昌司参院議員が、沖縄のひめゆりの塔の展示を「歴史の書き換え」と決めつけ、沖縄では「むちゃくちゃな教育がされている」と語った一連の発言である

▼何十年か前に現地を訪れ「今はどうか知らないが」とした上で、一方的な主観を述べ立てた。誤りを指摘された後も、上から目線で開き直った。記事が誤解を生んだと責任転嫁し、最初に報道した沖縄の地元2紙をこきおろした

▼批判の高まりを受け、一転して謝罪会見をしたのは昨日。ただ「事実関係は申し上げた通り」と節を曲げず、丁寧な説明もなくひめゆりの塔の話を持ち出した点についておわびした。いわゆる日本の「自虐史観」への反感をとうとうと論じていた

▼終戦から80年がたつとはこういうことなのか。幾多の過ちも犠牲も悔恨も、なかったことにされてしまいかねないのが恐ろしい。知らんけど、では済まされない。知る努力を怠りたくない。

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