戸惑うことは毎日尽きない。外出先でふいの雷雨に見舞われたり、日用品が驚くほど値上がりしていたり、上司から無理難題が降ってきたり。一日は大小いくつもの悩みの積み重ねのようでもある
▼「戸惑い」はなぜ頭に戸の字が付くのだろう。辞書を開くと「どうしたらよいか迷う」との意味だけでなく、「入る家や部屋が分からなくてまごつくこと」との意味も載っていた。家や部屋の話なら戸の字が付くのも理解できる
▼居酒屋でのトイレの帰りなんて、しょっちゅうだ。いくつか並んだ部屋のどれか迷った挙げ句、知らぬ人々がいる部屋のふすま戸を開けてしまう。きょとんとする皆さんに「ごめんなさい」と謝るしかない
▼間違ったからといって怒られることもない。そもそも「戸惑い」という言葉が生まれたぐらいだから、昔の人も完璧でなく、迷い迷いの日々だったに違いない。そう思えば、人は迷って当たり前なのだ
▼「迷い」の漢字に米の字が入っているのはなぜか。辞典「漢字源」を調べると、米粒の散った形が米の字だとの解説がある。それは「小さくて見えない」ものだという。であれば迷の字は、見えないほどの米粒を探し歩くイメージだろうか。どう見つければいいか戸惑いそうだ
▼もしかして、いにしえの人々も令和同様、米がどこにあるのかと悩んだろうか。想像を膨らませれば、米国を表す米じゃないかとも思える。米国の迷走は迷惑この上ない。「迷」の一字を世相を表す今年の漢字として挙げてみたい。