復帰前夜の1971年、当時の琉球政府が日本政府に建議書を提出した。そこに書かれた「基地のない平和の島」が実現するのは、いつの日だろうか。

 沖縄の日本復帰から15日で50年がたつ。だが米軍基地は沖縄県から消えず、むしろ米軍専用施設面積が占める割合は全国の58%から70%に上がった。

 県土面積は日本国土の0・6%なのに、だ。本土にある基地の整理縮小が進んだ分、沖縄への集中度は増している。

 ◆危険と隣り合う県民

 沖縄の歴史は犠牲と負担の繰り返しだった。

 戦争末期は本土防衛の「捨て石」にされ、「ありったけの地獄を集めた」と言われる地上戦があった。日米双方で20万人超が死亡し、うち一般住民が推計で9万4千人を占めた。

 戦後、日本の独立回復後も米国の施政権下におかれ、住民の土地が米軍基地として強制的に低額で接収された。

 米軍が絡む事件事故が相次いだ。59年には小学校に戦闘機が墜落、給食中の児童や住民200人超が死傷した。

 復帰後も、95年に少女暴行事件が起きた。米軍と米兵の法的地位を定めた日米地位協定を盾に米兵は逮捕されず、身柄引き渡しは起訴後となった。

 その都度県民の怒りは沸騰した。しかし、基地と共存する暮らしは危険と隣り合わせのまま何一つ変わっていない。

 50年の節目を迎えるに当たり、沖縄県は「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」をまとめた。玉城デニー知事が岸田文雄首相に手渡した。

 半世紀前と同様「基地のない平和の島」との表現を盛った。玉城知事は「50年前に県民が望んだ理念は、ぜひ踏襲したかった」と説明する。

 復帰前の建議書の内容が実現していれば、新たな建議書など必要なかったはずである。

 新建議書は基地が集中する現状を「差別的」と指摘した。その言葉の重さをしっかりと受け止めなくてはいけない。

 解決に向けては、普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設が焦点になるだろう。

 移設については、県民投票や知事選などで幾度となく「ノー」の民意が示されている。それなのに政府は「唯一の解決策」との姿勢を崩さない。

 共同通信社が実施した直近の世論調査によると、こうした政府の姿勢を「支持しない」とする人は沖縄県で67%、全国でも64%を占めた。

 岸田首相は民意と真摯(しんし)に向き合い、移設断念を求める県や、基地を設置する米側と協議する場を設けるべきだ。

 地位協定の見直しは間違いなく県民の悲願である。歴代知事は保守・革新の立場を超え、一貫して改定を求めてきた。

 沖縄県議会が13日に全会一致で可決した意見書と決議にも、協定の抜本的改定を求めることが盛り込まれた。

 ◆治外法権の地位協定

 地位協定は治外法権的だと指摘される。協定に基づき米兵が検疫を免除され、そのことが沖縄での新型ウイルス感染拡大の要因になったとの批判もある。

 協定発効から一度も改定せず、運用改善や補足協定でしのごうとする政府には、国民を守護する姿勢を感じられない。

 沖縄と本土の間に広がる経済格差も大きな課題だ。

 経済規模を表す沖縄の県内総生産は一時、復帰当初の10倍にまで成長した。基地関係収入への依存度は下がり、観光が主力産業となった。生活インフラの整備率は全国と肩を並べた。

 だが、1人当たりの県民所得は全国水準の7割に過ぎず、全国最下位を抜け出せない。子どもの貧困は深刻だ。

 先の世論調査では、全国との経済格差について県民の93%が「あると思う」と答えたのに対し、全国は53%にとどまった。

 私たちは観光以外の沖縄をどれだけ知っているのか。50年を経ても沖縄だけに強いる負担と痛みから目をそらしてはならない。できることを考えたい。

 写真=復帰当日の那覇市国際通り。車は米国と同じ右側通行だ