糸魚川市出身の批評家若松英輔さんは10代の中ごろ、父親の書斎で哲学者、西田幾多郎の「善の研究」に出合った。古びた本を開いた時、「分かる」には程遠かったが、「何かがある」と感じたという

▼筆者もほぼ同じ年頃で手に取った。しかし日本最初にして、日本一難しいといわれる哲学書の壁は厚かった。「純粋経験」に続き「知的直観」という言葉が出てきたところで、読み続けるのをあきらめた。以来40年余、西田はずっと遠い存在だった

▼若松さんは5月、「西田幾多郎 善の研究」という本を出版した。その中で西田の生涯と思想に迫る方法として、著作のほかに随筆や短歌もある、と書いている

▼西田は若き日に姉を病気で亡くし、弟を日露戦争で失った。その後、妻と5人の子どもに先立たれた。「我が子の死」という文章では次のようにつづった。「折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰謝である、死者に対しての心づくしである」。深い悲しみと苦しみがひしひしと伝わってくる

▼「妻も病み 子ら亦病みて 我宿は 夏草のみぞ 生ひ繁りぬる」。三十一文字には家族への愛情がにじむ。大哲学者がほんの少し身近に感じられた

▼西田は明治3年、石川県に生を受け、日清・日露戦争と、二つの世界大戦を経験した。75歳で亡くなって7日で80年となるが、今もなお本は版を重ねている。世界中で戦火が絶えない。激動の時代、苦難の人生から生まれた哲学に、読者は光を見いだそうとしているのだろうか。

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