大正に生まれたその人は、80代になっても小学校の級友全員を覚えていた。一度もクラス替えがなく6年間一緒だったとはいえ、40人を超える名前や顔をずっと覚えているのは容易ではないだろう

▼記憶の主は、鶴見俊輔さんだ。戦後を代表する思想家だった。特異な歩みが記憶と関係していたようだ。日米開戦を留学先の米国で迎えた。まだ20歳に満たない。眠れぬ夜、小学校時代の仲間を繰り返し思い浮かべたそうだ

▼相手国に身を置く孤独感はどれほどか。著書によると、望んだ留学ではなかった。中学校を退校する不良だったため、父に送り出される形で15歳のとき渡米した。学校に入ったものの、ただひとり英語の分からぬ「異物」だったと振り返る

▼そこからがすごい。あの有名なハーバード大に進学する。哲学を学んだ。当時、学部生として在学する日本人は他にいなかったらしい。そして開戦。鶴見さんは捕虜収容所に送られる

▼なんと、その収容所にわざわざ卒業証書が届いたのだという。感じ取ったのは「米国の寛大さ」であったと述懐している。しかしいま、米国にその面影はない。政権は、学生デモの取り締まりを拒否したハーバード大への締め付けを強め、留学生の入国を認めないという

▼英語を話せぬ「異物」を受け入れ、敵国学生の卒業証書も忘れぬ米国はどこへ行ってしまったか。救いは、政権の要求に屈しない大学の姿勢だ。10年前に他界した鶴見さんなら母校の気概をどう見るか。喝采を送るに違いない。

朗読日報抄とは?