こんな作品の作り手から直接指導してもらう授業って、どんな趣なんだろう。興味をかき立てられる。新潟市の開志専門職大教授の早川千絵さんが監督した映画「ルノワール」を見た

▼今更ながら、今年のカンヌ国際映画祭で称賛された話題作である。ひととき日常を離れ、独特の世界観に浸った。11歳の少女を主人公とする物語は、分かりやすい感動や答えをやすやすともたらしてはくれなかった

▼早川さんは本紙取材に「理由付けとか説明からなるべく離れることを意識して脚本を書いた」と語っていた。なるほど、スクリーンを見ているだけでは意味を読み取れないシーンが度々あった

▼胸の内をはっきり言語化できない11歳をありのまま描くための、巧妙な手法なのだろう。場面や展開の解釈も見る側に委ね、説明しすぎないという意図が徹底していた

▼一昨年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞に輝いた「悪は存在しない」は、ラストが本格的に不可解だった。監督の濱口竜介さんは映画サイトのインタビューで「意図してそうしたというより、自然に(脚本を)書いてしまい、その後で腑(ふ)に落ちた。自分で全部を言語化しているわけではない」と話していた

▼映画とは何らかの問題に答えを出すものではなく、解決できないような問題と一緒に生きることを促すものだと、濱口さんは表現した。分かりやすい説明や単純化した課題の提示を心がける新聞報道の原則とは相いれない。だから時折、無性に映画が見たくなるのだろうか。

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