1945(昭和20)年の長岡空襲から、8月1日で80年を迎える。前月に投下された模擬原爆と合わせ、判明しているだけで1489人が亡くなった。長岡市城内町2の長岡戦災資料館に収められている犠牲者の遺影は、命の重みを無言で訴える。一人一人が確かに生き、かけがえのない人生があった。今年も遺族に思いを語ってもらった。戦争の悲惨さや平和の尊さを改めて伝えたい。(2回続きの2)
遺影となった写真は生後100日の記念に撮影したものとして、本人の大切な持ち物になるはずだった。大井芳政さんは1944(昭和19)年8月31日、長岡市表町2でガラス製品の販売店を営む家で長男として誕生した。店の跡継ぎにと期待されたが、翌年8月1日の長岡空襲で焼夷(しょうい)弾による大やけどを負い、11カ月の短い生涯を閉じた。

「遺影になんて、なるはずのものではなかった。会って、お兄さんと呼んでみたかった」。妹の道子さん(78)=長岡市今朝白1=は静かに話す。...
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