1945(昭和20)年8月1日夜、少女は長岡市郊外の高台から燃え上がる市街地を見つめていた。米軍機が爆弾を落とすたびにごう音と火柱が上がる。隣にいた母の袖を握りしめ、歯の根が合わずにガタガタと震えていた

▼その少女が今、90歳になった。4年前に亡くなった作家半藤一利さんの妻で、随筆家の末利子さんである。長岡高校を卒業後ずっと東京で暮らすが「あの夜だけは忘れられない」という。花火大会は空襲を想起させるので楽しめなくなった

▼末利子さんにとって、長岡空襲とともに鮮明な戦争の記憶はひもじさと軍国教育だ。「いつもおなかをすかせて先生におびえていた」。教師は「絶対者」で子どもを服従させ、当たり前のように殴った

▼疎開する前に暮らした東京はまだ自由な空気があったが、戦況の悪化とともに強まる締め付けが苦痛だった。しかし戦後は一変し、中学高校は自主性が重んじられた。自由と民主主義の尊さを実感した

▼昭和史の語り部だった一利さんは「戦争ができる国にしてはいけない」と家でもよく語っていた。平成の頃、夫婦で上皇ご夫妻と何度か懇談したことを思い出すが、上皇ご夫妻は平和と慰霊に寄せる思いがことさら強かった

▼一利さんは戦争の背景には大国主義や排外思想の高まりがあったとも指摘していた。末利子さんは最近の政治家の言動に危うさを感じる。戦争体験者がいなくなった後が心配だ。「いつの時代にも、戦争への道を開く人はいる。若い人に考えてほしい」

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