なんとなく「巨人、大鵬、卵焼き」的なものに背を向けたくなる心理を理解してもらえるだろうか。ドイツの詩人シラーによる詩句にちょっとした共感を抱く。いわく〈多くの人間に愛されるものは、ろくでもないものなのだ〉
▼それに似た心持ちで出かけたはずなのに、すっかり満足して帰ってきた。長岡花火をほぼ20年ぶりに会場で見た。観光客でごった返すイベントの印象ばかり強くなっていたが、再び見た復興祈願花火「フェニックス」には、言葉を失わせる重みがあった
▼テーマ曲の「ジュピター」が流れる。〈夢を失うよりも悲しいことは自分を信じてあげられないこと〉。その歌詞に、中越地震で崩れ落ちた山里や大切なものを失った被災者の姿が重なる。当時の記憶と曲調が分かちがたく結びついている
▼フェニックスは中越地震翌年の2005年に、初めて打ち上げられた。幅2キロに及ぶ連射花火など前例がなく実現に懐疑的な見方もあったが、当時の実行委員会は諦めなかった
▼「定着させるため何が何でも成功させる」。被災直後にもかかわらず、メンバーは本業を脇に置いてまで協賛金集めに奔走した。20年前のあの熱意がなければ、今の長岡花火の形はなかったかもしれない
▼無数の募金やクラウドファンディングで成り立つ花火は、多くの人々に愛されるべくして愛されてきたのだろう。長岡花火は戦後復興の誓いと慰霊の意味も持つ。理念が生き続ける限り、決してろくでもないものになど成り下がりはしない。