新潟日報の報道部があるメディアシップの17階。知る者は少ないが、書棚の一番奥にひっそりと、DVDの束が積んである。そこにはテレビも普及していない時代、元々16ミリフィルムで撮影された「ニュース映画」の数々が記録されていたー。「昭和100年」の節目の年に、懐かしき日々をお見せしたい。(随時掲載・第2回無料公開中)

第1回「新潟まつり」

新発田農 甲子園へ 1961(昭和36)年

 中越高校の甲子園での活躍を祈りつつ、取り出したのが、新発田農業高校が初出場した時の映像だ。(中越の映像はありませんでした…すいません。その代わり紙面はこちらで紹介しています)

 1961(昭和36)年は1県1代表ではなかった時代。北越大会で甲子園切符を勝ち取り、新発田駅に降り立った選手たちは、数千の大観衆から大歓迎を受ける。何しろ、この時まで長岡中(長岡高校)と新潟商業の2校しか甲子園に出場していなかったからだ。新発田勢としても初、農業高校としても初だった。

 開幕試合の戸畑高校(福岡)戦スタンドには、新発田藩出身の堀部安兵衛にちなみ、四十七士姿の気合いの入った応援団。延長戦の末、3-2で破り、見事に初勝利を収める。宿舎でだるまに目を入れ、祝電を読むところで映像は終了しているが、その後の2回戦は崇徳高校(広島)に1-4で敗れている。

 暑熱対策、髪型の自由…時代によって変化することもあるが、高校野球にはいつの時代も心を熱くさせるドラマがある。中越高校の試合も、気合いを入れてしっかりと応援したい。