上杉謙信をたたえ、遺徳をしのぶ「第100回謙信公祭」が23、24日に上越市で開かれる。1926(大正15)年、青年団を中心に始まり、戦中も途絶えることなく脈々と受け継がれてきた。ミュージシャンのGACKT(ガクト)さんをゲストに招いた2015年は24万3200人を集客。全国区となったイベントをどう継承していくか。次の100年を見据えた取り組みが求められている。
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第1回謙信公祭は1926年9月13日に開かれた。高田市の川合直次市長に対し、高田市連合青年会が開催を提案したのをきっかけに高田市と直江津町、春日村の青年団が主催した。
開催日は、謙信が1577(天正5)年9月13日、能登の七尾城攻めに際して詩を詠んだと伝わることにちなむ。第1回謙信公祭は春日山神社を中心に開かれ、謙信の遺徳をしのぶ講演や相撲、仮装行列などが行われた。
戦時中は、1944年8月16日に高田市役所で謙信公祭の打ち合わせをしたとの記録が直江津町歴史公文書に残っており、戦局が厳しくなる状況でも開催していたとされる。
上越市公文書センターによると、現在のメインイベント「出陣行列」が始まったのは61年。激戦だったとされる第4次川中島合戦から400年の節目に、祭りのハイライトとして「謙信公出陣仮装行列」が行われた。翌62年は約120人の行列が「南本町を出発、本町通りをねり歩いた」と新潟日報は報じている=冒頭の映像参照・随時掲載企画[昭和100年の日報ニュース]=。
当時の行列は自衛隊員が務め、謙信公役は市議会の議長。鎧兜は東映の撮影所から借りたという。
謙信が主人公のNHK大河ドラマ「天と地と」が放映された69年は8月23、24日の2日間に拡大された。開催日は第1回から9月13日を基本としていたが、農繁期を避けるため64年は8月に開催し、76年の7月開催を経て8月に戻った。

春日山町3の寺島賢作さん(81)は45年ほど前、謙信公祭の企画や運営に携わった。春日山地区の春日商工振興会の青年部として、祭りの前に関係者が毎晩のように集まり、夜中まで会議をしていた。
「当時、知名度はなかったが、本県を代表する祭りにしたいという熱意があった」と懐かしむ。
謙信公祭は現在、謙信公祭協賛会が主催し、町内会長や春日商工振興会のメンバーら市民を中心に運営している。
実行委員会の催物副部長の太田一巳さん(53)は2015年、第90回の節目に前夜祭を企画し、「ちょうちん行列」を復活させた。「子どもたちが参加できる行事として企画した。祭りを楽しんでもらい将来、地元を離れても祭りの時に戻ってきてほしかった」と振り返る。
24歳から実行委員を務め祭りを支えてきたが、スタッフが高齢化していると感じている。「できれば20代の後継者を育てたい」と今後を見据えた若手の育成にも意欲を見せる。
実行委員長の青柳伸一さん(69)は「地元の子どもたちには、謙信公祭の準備を手伝ってもらっている。祭りに愛着を持ってもらい、大人になったら運営を引き継いでほしい」と話した。