
1945年8月1日、長岡市に米軍爆撃機B29が投下した焼夷(しょうい)弾が降り注いだ。町は火の海となり、多くの命が奪われた。80年が過ぎ、悲劇の記憶が薄れゆく中、凄惨(せいさん)な光景が広がった場所を、20代の記者がたどった。さまざまな思いを抱いて8月1日を迎え、平和の尊さを改めてかみしめた。
長岡空襲で米軍は、長岡市中心部の住宅密集地がすっぽり入る半径1・2キロの円を攻撃目標とし、大量の焼夷(しょうい)弾を投下した。最大の被害を与えようとする残酷な作戦だった。円の中心に位置する明治公園(坂之上町3)には、爆撃中心地点となったことを記す石碑がひっそりと置かれている。

明治公園は、JR長岡駅か...
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