多くの人にとって青空と共に記憶に刻まれていた。今夏出版された中川右介さん著「昭和20年8月15日」には、135人の文化的著名人の「その日」が収められている。俳優、歌手、映画監督…。80年をさかのぼる終戦の日を垣間見る
▼岡田茉莉子さんは疎開していた現新潟市の赤塚村で玉音放送を聞いた。12歳に天皇の言葉は難しかった。「雲一つない炎天」は覚えていた。淡谷のり子さんは山形に巡業していた。「虚脱したような空虚な静かさが、晴れ切った空と大地の間に満ちていた」
▼死を覚悟した人もいる。軍命でシンガポールにいた小津安二郎さんは、切腹せねばならぬと息巻く軍人に囲まれ、自らも意を固めた。決行は免れ、収容所に入った
▼森光子さんは「悔しくて悔しくて」仕方なかった。その日の未明に、疎開先の高崎が空襲にさらされたことが許せなかった。都内の自宅を空襲で焼かれた杉村春子さんは、放送局へ向かう道すがら「薄い灰褐色」の街を心に刻んだ
▼焼け野原の横浜で13歳になった岸恵子さんは「ただただひもじかった」。何の感慨もなかった。物心ついて以来、自暴自棄に死を意識してきた15歳の深作欣二さんは「生きるとはどういうことか想像もつかなかった」
▼戦禍を生き抜き、その後に一時代を築いた人々の軌跡を見つめ、未来を絶たれた命に思いを向ける。7万人を超える県人を含む国民310万人が戦争で亡くなった。各国の犠牲者はさらに多い。生きている今を考えるための今日としたい。