機銃掃射を目の当たりにした自身の戦争体験について振り返る佐藤泰彦さん=新発田市
機銃掃射を目の当たりにした自身の戦争体験について振り返る佐藤泰彦さん=新発田市

 新発田市の佐藤泰彦さん(97)は、8月が巡ってくるたびに学徒動員先で味わった苦い体験を思い出す。米軍のグラマン機による機銃掃射を受けながら九死に一生を得た。80年たってもなお記憶に焼き付いているのは、薄ら笑いを向けた機上の米兵の顔だった。「あの意味は何だったのか」。佐藤さんは自問を続ける。(新発田総局・金澤朋香)

 1944年8月16日の夕方、旧制新発田中学校(現県立新発田高校)の5年生だった佐藤さんは、「三菱重工川崎機器製作所」(川崎市)へ同級生ら約400人と共に新発田駅を出発した。

 川崎機器製作所は戦時中、軍艦や戦車などの部品を生産する軍需工場だった。鍛造部門に配属され、ガス発生炉の管理を任された。

 同級生らと寮で生活をしながら働いた。寮の食事で出された...

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