暦の上では、ようやく暑さがやむとされる「処暑」を迎えたが、冷房が欠かせぬ日々が途切れる気配はない。雨の降らない梅雨を経て、深刻な水不足が生じた。かと思えば、集中豪雨に襲われた地域もある。祈る気持ちで、たびたび天気予報を確認する夏だった

▼その天気予報が日本から消えた時代がある。日本軍による真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入した1941年12月8日以降、新聞やラジオは気象情報を流さなくなった

▼軍事機密になったためだ。敵の爆撃を利する情報とされた。台風の接近や進路予測、大地震の被害状況などが市民に届かなくなり、備えが遅れる実害もあった

▼ばかばかしいほど報道管制は徹底していた。ウェザーニュース社のコラムが、あるエピソードを伝える。野球の試合で太陽がまぶしくて落球した野手がいた。中継のアナウンサーは球場周辺が晴れていることを伏せるため「折からの自然的悪条件のため」の失策だと伝えたという

▼天気予報は終戦とともに復活した。天皇の玉音放送から一週間後にラジオ放送が再開し、翌日の23日から再び新聞掲載も始まった。80年前のきょうである。天気予報ですら平和を考える材料になり得る

▼終戦から節目を迎えたこの夏、各メディアは戦争を巡る報道に力を注いでいる。多くは重く痛切な話である。受け止めるのも容易ではないが、一つでもいい、読む人の記憶に長く残る記事があることを信じ、新聞は報道を続ける。戦意高揚に加担した戦中報道の悔悟を忘れず。

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