国が主導して売春をあっせんしていた実態が詳細に示されたといえる。国のためだとして女性が犠牲にされた事実にがくぜんとさせられる。負の歴史を胸に刻み、未来への教訓としたい。
太平洋戦争の終結直後、占領軍の兵士を性接待するため国内各地に設けられた慰安施設について、設営条件や女性の募集・管理に関する内規を記した新潟県警の公文書が見つかった。
慰安施設は占領軍兵士による性犯罪を憂慮した政府が、一般の「婦女子」を守るためとして、全国の警察に設置を指示したことが分かっている。
設置は全国で進み、警察署が選定した業者や、接客業者らによる特殊慰安施設協会(RAA)が運営した。県内でも新潟市や高田市(現上越市)などに設けられた。
今回見つかった文書は津川署(現阿賀町)が1945~46年度に作成した「連合軍進駐関係綴(つづり)」で、県立文書館が保存していた。
県警察部長が各署長に宛てた通達も含まれており、そこでは「娼妓(しょうぎ)ならびに接待婦の充足に努める」との方針を提示している。
さらに「業態の許可に関しては必ず警察部長に稟議(りんぎ)」を求めると定め、開設手続きに「極力便宜を供与すること」としている。
驚くのは、運営のための詳細な規則が記されていることだ。
「接待婦は署長の指定する医師の健康診断を受ける」「寝具類は常に清潔を保持する」としたほか、接待婦の募集に関して、17歳未満や夫がいる女性は対象外とする条件を明示している。
国が主導した売春事業を、地域の警察署が具体的に推し進めた実態を裏付けたといえる。
敗戦と占領という未曽有の事態に直面していたとはいえ、国が手はずを定め、女性を性の道具として差し出していた実態や発想に暗たんたる思いがしてくる。
戦時中に日本軍は中国や朝鮮半島など各地に、従軍慰安婦が性接待する慰安所を設けている。
その延長線上に占領軍向けの慰安所の設置があったとも受け取れる。兵士の性犯罪を防ぐためとして女性の人権を無視し、踏みにじった事実は共通している。
慰安施設の設置を指示する通達は、終戦からわずか3日後の8月18日に極秘で発出された。
このため当時の警察の公文書が残っている例は少なく、警察による詳細な規則が明らかになるのは今回が初めてで貴重という。
先の大戦を美化する風潮も見受けられる中、新たな歴史の事実を掘り出す意義は大きい。
過去の誤った歴史を直視し、学び取る姿勢が、戦争を起こさない第一歩になる。