日にち薬という言葉を初めて聞いたのは、京都出身の開業医に診てもらった時だった。疲れが抜けず、何度か通ったが思わしくない。薬を求めると、いわく「十分に寝て食べて様子を見ましょう。日にち薬ですから」

▼日数を重ねて養生することで病気やけがが良くなることを指す。診断の結果を有り体に言えば「薬は不要」ということだが、それでは角が立つ。日にち薬という「処方」は、患者に寄り添った対応だった

▼体だけでなく心にも効く。悲しみやつらい経験は時が癒やす。身近なところでは失恋や大切な人との永遠の別れが思い浮かぶ。心に深手を負っても薄紙を剝ぐようにゆっくりと快方に向かっていく

▼日にち薬は忘却と深く結びついている。過去の思い出を消し去ることで新たな一歩を踏み出せることもある。フランスの小説家バルザックは「多くの忘却なくしては人生は暮らしていけない」との名言を残す

▼薬は望まざる症状を引き起こすこともある。日にち薬も「風化」という側面を併せ持つ。思い出したくない記憶も、忘れてはならない出来事も、程度の差こそあれ、だんだんと残像が薄れていく。時に美化され、デフォルメされながら

▼戦後生まれが総人口の9割近くとなり、戦争体験の継承がより深刻な問題になってきた。過去に地震や風水害に見舞われた被災地でも関心の低下を心配する声を聞く。次の世代に語りかけ、伝えていくことが風化を防ぐ。日にち薬の副作用にあらがわなければならないこともある。

朗読日報抄とは?