松任谷由実さんの「水の中のASIAへ」というアルバムに「スラバヤ通りの妹へ」という曲がある。インドネシアで出会った少女との交流を描く。少女が現地の歌を口ずさんだのだろう。その歌が大好きよ、その次を教えてよと、繊細な曲調で歌っている

▼歌詞の一節に〈やせた年寄りは責めるように私と日本に目を背ける〉とある。現地に残る戦時中の負の記憶をさりげなく差し込んでいる。目をそらしはしない。でも真正面から問題にしようともしない。松任谷さんの曲づくりの妙を見る

▼外国人との向き合い方は簡単とも言えない。すべてが分かり合えるとは限らない。国内では外国人排斥につながりかねないささやきが、じわじわと音量を増す

▼心が弾む話ではない。こちらとあちらの間に線を引き、隔てた先に何があるのか。「そうだ」「そうじゃない」。ネット空間を中心に、言いたいことだけ言い合う風潮も広がる

▼あの相模原市の障害者施設殺傷事件の加害者も、重度障害の有無でこちらとあちらに分断する線を引いていた。障害者への税金支出や生産性を問題視していた。今、日々の暮らしで「報われていない」と感じる鬱憤(うっぷん)が先鋭化し、似た発想に寄りつつあるようで気がふさぐ

▼三条市も認定された国際交流を促すホームタウン事業が撤回された。誤情報が混乱を生んだが、移民反対を叫ぶ声は、誤解を解いてもなお治まりはしなかった。声を上げた人々は事業撤回を受けて、晴れ晴れとした気持ちでいるのだろうか。