心は太平洋ぜよ。なめたらいかんぜよ。おまんら許さんぜよ-。順に坂本龍馬、鬼龍院松恵、二代目スケバン刑事(でか)の名ぜりふだ。小説や映画、テレビドラマに出てくる高知のヒーロー、ヒロインは大体が「ぜよ」を使う

▼高知弁と言えば「ぜよ」と思ってきたが、今は現地で使われることがほぼないというから驚いた。高知で生まれ、高知の会社に勤める50代の知人は「一度も使ったことがない」「生で聞いたことはない」と話している

▼そういえば先週で終わったNHKの朝ドラ「あんぱん」も、高知が舞台だったがほとんど耳にしなかった。何とも残念だが、言葉は時とともに移ろうもの。仕方がない

▼とはいえ、全ての方言が消滅の危機にあるわけではない。あんぱんでは「やき」「にゃあ」「たまるか」といった高知弁がよく出てきた。東京ではむしろ、方言を話す人が増えているように思う。関西弁、東北弁、博多弁、広島弁。特に若い人からよく聞く

▼かつて方言は恥ずかしく、矯正すべきものとされた。それが今は誇るべきものと肯定的に捉えられているのかもしれない。通信アプリでも方言のスタンプは人気を集めている

▼さて新潟弁だ。なじらね、そいがー、そうらて、そうなんさ、げっぽ、だっけ、ひゃんで、いいねっか。県土の広大さからか、単語も語尾もアクセントも、方言は多彩だ。「ぜよ」のような力強さや格好良さはないが温かみがある。世は多様性の時代。これからは東京でも堂々と新潟弁を使うとしようか。