本紙窓欄で先ごろ、田上町の女性が8月の夜空を見上げた時の気持ちをつづっていた。80年前、日本人はどんな思いで星を眺めていたのだろう-
▼新潟地方気象台によると、終戦の日の1945年8月15日、新潟市では降水は観測されず、おおむね晴れだった。天上には星が輝いていたと思われるが、地上の人の心中を推し量るのは難しい。悲しみか、悔しさか。安堵(あんど)だったかもしれない
▼米国の天文学者、カール・セーガン博士の伝記絵本「星のこども」に「わたしたちは『星のこども』なのです」という言葉がある。「わたしたちの身体は遠いむかし、はるかかなたのおおきな赤い星のなかでつくられた『星のかけら』、つまり窒素や酸素などで、できています」。思わずページをめくっていた指先を見詰めた
▼絵本を翻訳したのは、宇宙飛行士の山崎直子さんである。かつてスペースシャトルで宇宙へ行った時、体全体が懐かしがり、喜んでいる感じがしたそうだ。私たちの体は、無重力の感覚を記憶しているのかもしれない
▼山崎さんは人間が宇宙へ出て行くために不可欠なものとして、国際協力を挙げる。「人類の未来にむけて、さまざまな国が協力しあう、社会的な基盤がよりためされる時代です」と呼びかけている
▼現在の世界を見渡してみる。協力とはかけ離れた対立ばかりが目に付く。それは日増しに大きくなっているように思えてならない。星たちは自らの「こども」たちが争う姿をどんな思いで見下ろしているだろうか。