住宅密集地にあり「世界一危険」と言われる飛行場が今もなお存続していることは看過できない。一日も早く危険性を取り除かねばならない。

 沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場の返還に、日米両政府が1996年4月に合意してから30年が経過した。返還時期は当初、5~7年以内と見込まれていたが、先延ばしが続いている。

 名護市辺野古への移設工事を巡る県と国との法廷闘争や、軟弱地盤を改良する難工事の影響である。現時点では、早くても2036年以降になる見通しだ。

 返還の遅れは、日本政府の責任が重いと言わざるを得ない。

 沖縄県では1995年、米兵3人による少女暴行事件が起きた。県の面積は国土の約0・6%だが、在日米軍専用施設の7割が集中する。基地に起因する事件から、県民の間で返還運動が高まり、普天間の返還合意に至った。

 普天間は宜野湾市の中央に位置し、周辺住民は航空部隊の騒音や部品落下などに悩まされてきた。沖縄の負担を象徴する基地だ。

 政府は99年、移設先を辺野古に決定した。県内での基地のたらい回しに、地元が激しく反発したのは当然である。

 旧民主党の鳩山由紀夫首相は2009年、移設先を「国外、最低でも県外」としたが、最終的に辺野古に回帰した。

 政府が、過重な基地負担に長年苦しんできた地元に向き合うどころか、翻弄してきた経緯を忘れてはならない。

 辺野古移設に反対する県は15年、国との法廷闘争に入ったが、訴訟では県が敗訴し、沿岸部に土砂が投入された。

 だが、軟弱地盤の改良工事は技術的に難しく、土砂も不足する見通しだ。このため、普天間の返還期日すら確定していない。

 玉城デニー知事が「辺野古移設では普天間飛行場の一日も早い危険性の除去にはつながらない」と訴えるのは理解できる。

 一方、高市早苗首相は「辺野古移設が唯一の解決策」との立場を変えていない。それならば、移設までの間、普天間の危険性をどのように除去するのか。具体的に示すことが必要である。

 気がかりなのは、米側が必要とする「長い滑走路」の確保だ。

 普天間の滑走路は長さ約2700メートルだが、辺野古では約1800メートルとなる計画で、大型の固定翼機の発着には短いとされる。

 米側は昨年9月、緊急時に使用できる民間施設の長い滑走路の選定を日本政府が終えるまで、普天間を返還しない立場を表明した。

 辺野古移設工事が完了しても普天間が返還されないとしたら、沖縄県にとっては新たな負担を背負うだけである。

 政府は米側の真意を確かめ、県民に丁寧に説明するべきだ。