被害者の高齢化が進んでおり、解決はもう先送りできない。救済に向けた取り組みを一層急がねばならない。

 「公害の原点」といわれる水俣病の公式確認から1日で70年となった。水俣病は、化学メーカー、チッソの熊本県水俣市の工場が熊本、鹿児島両県に面する不知火海(しらぬいかい)に、猛毒メチル水銀を含む排水を流したことで発生した。

 汚染された魚介類を食べた住民の神経系が損傷し、手足のしびれや感覚障害、視野狭窄(きょうさく)などの症状をもたらした。漁業などは打撃を受け、移住した人も多い。保健所に患者が報告された1956年5月1日が公式確認日とされる。

 新潟水俣病の公式確認は9年後の65年5月だ。

 原因企業は、安全性より経済性を優先し、住民の暮らしと健康、生命を奪った。その重大な責任は、今後も問い続けねばならない。

 患者の認定は公害健康被害補償法に基づき審査され、認められると慰謝料や医療費の支給対象となる。国が77年に原則複数の症状の組み合わせを必要とするなど基準を厳格化して棄却が続出した。

 患者認定の申請者は新潟、熊本、鹿児島の3県で延べ約3万6千人だが、認められたのは約3千人にとどまっている。今も千人以上が審査結果を待っている。

 救済されない人たちの提訴が相次ぎ、国は汚染魚を食べて感覚障害などの症状がある人に一時金などを支給する「政治決着」を2度図った。だが、なお患者認定を求める訴訟が各地で係争中だ。

 新潟地裁は今年3月、県と新潟市に8人を患者として認定するよう命じたが、県と市は控訴した。国に認定制度を見直す動きはなく、被害者を救済する本気度を疑わざるを得ない。

 4月には患者申請を棄却された熊本、鹿児島両県の7人が処分取り消しを求めた控訴審判決で、福岡高裁が原告側の控訴を退けた。原告側は上告する方針だ。

 原告は水俣病が公式確認された56年前後に生まれ、患者認定を申請して既に20年以上が経過する。今後も法廷闘争を続ける負担は計り知れない。

 石原宏高環境相は4月、環境省の新入職員への訓示で水俣病について「環境省の原点」だとして「国民に寄り添い、安全・安心を確保する」と呼びかけた。

 石原氏は水俣市できょう1日に営まれる水俣病犠牲者慰霊式に合わせ、2日間にわたり被害者団体と懇談する。自身の言葉通りに、被害者の声に真摯(しんし)に耳を傾け、環境行政に生かしてもらいたい。

 新潟水俣病は3月までに717人が患者認定されたが、なお二つの裁判が継続している。

 被害者の高齢化に伴う療養の充実など、熊本と共通の課題が多い。連携を強め、解決への道筋を確かなものにしたい。