柏崎市などを最大震度6強の揺れが襲った2007年の中越沖地震から、16日で15年となった。
住宅が倒壊するなどして15人の尊い命が失われた。人生を奪われた犠牲者や残された家族を思うと今もやり切れなさが募る。
地震で壊れた住宅や市街地の復興は進んだ。災害時に住民同士が助け合う自主防災組織の組織率も格段に高まった。
しかし時とともに被災の記憶は薄れがちになる。経験や教訓をしっかり語り継ぎたい。
あの日受けた衝撃は地震の揺れだけではなかった。中越沖地震は原発が大地震に見舞われた初のケースになった。
東京電力柏崎刈羽原発3号機の脇にある変圧器で火災が起き、原発敷地内から黒煙が立ち上った。原発の「安全神話」が大きく揺らいだ。
中越沖地震は、地震大国の日本で原発を運転するには自然災害に対する万全の備えが不可欠なことを浮き彫りにした。
だが11年に発生した東日本大震災で東電福島第1原発は未曽有の事故を起こし、その教訓を生かすことはできなかった。
放射能による被害を受けた地域では、多くの人が故郷を離れざるを得なくなった。
原発でひとたび事故が起きれば影響は計り知れない。だからこそハード、ソフト両面で厳重な安全網を張り巡らさなくてはならないのだが、度重なる東電の失態を見ていると、安全に責任を負う事業者としての資質に疑念が湧く。
あぜんとするのは、今なお地震による被害が確認されることだ。
昨年、柏崎刈羽原発6号機の原子炉建屋に隣接する大物搬入建屋で、基礎部分を支えるくい内部の鉄筋に破断が見つかった。
これについて東電は今年2月、くいは中越沖地震で損傷したとする調査結果を公表した。
地震後の被災状況の調査で、くい自体を点検していなかったことも明らかになった。
柏崎刈羽原発は震源断層のほぼ真上にあり、敷地内では甚大な被害が出た柏崎市中心部よりも大きい「震度7」が観測されている。
地盤自体が隆起やゆがみで変化しており、設備や施設の点検は念入りに行われるのが当然だろう。
その後も核物質防護体制の不備が発覚するなど、東電の安全に対する意識の希薄さは目に余る。
電力需給が逼迫(ひっぱく)したことを背景に、岸田文雄首相は冬の安定的な供給に向け、最大9基の原発を稼働させるよう指示した。
柏崎刈羽原発は原子力規制委員会の是正措置命令を受けて事実上再稼働できない状態にあり、9基には含まれていない。
だが電力不足が長引けば再稼働への圧力が強まる可能性は否定できない。慎重な議論が不可欠だ。
花角英世知事は、原発の安全性を巡る県独自の「三つの検証」の結果を踏まえ、再稼働の是非に対する考えを示すとしている。
どうしたら地域の安全と安心を守ることができるか。15年前の教訓を思い起こしたい。