10年以上も世界の最高峰に立ち、計り知れない重圧の中でまっすぐに夢を追いかけた。

 挑戦し続ける姿は、東日本大震災の被災地をはじめ、どれほど多くの人を勇気づけてきただろう。

 フィギュアスケート男子で冬季五輪2連覇を成し遂げた羽生結弦さんが、五輪、世界選手権など競技会からの引退を表明した。

 難易度の高いジャンプに果敢に挑み、傑出した表現力で、強さと華やかさを合わせ持つ独自の世界を氷上に描いた。

 五輪で演じたプログラムは今も鮮烈な印象を伴って記憶に残る。2018年の平昌冬季五輪では右足首の大けがを乗り越え、66年ぶりとなる2連覇の偉業を遂げた。

 並々ならぬ努力に敬意を表し、長年の労をねぎらいたい。

 競技人生で特にこだわりを見せたのはジャンプだった。

 3連覇がかかった今年2月の北京冬季五輪ではフリーで超大技のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑んだ。

 回転不足で転倒したものの、主要国際大会で初めて4回転半への挑戦が認定された。4位だったが「全部出し切った」と語った。

 11年に起きた東日本大震災は羽生さんのスケート人生から切り離せないものとなった。

 出身地の仙台市で練習中に被災した。自宅は全壊判定となり、避難所生活も送った。

 スケートをしていていいのか自問自答したという。全国を転々としながら練習を重ね、12年にカナダへ拠点を移した。

 被災地での直接的な活動ができない後ろめたさの半面、寄せる思いは原動力になった。初出場した14年のソチ冬季五輪で金メダルに輝くと、「皆さんの思いを背負って表彰台に立てた」と口にした。

 その後も度々被災地を訪れた。羽生さんの姿に励まされた被災者は少なくないだろう。

 今後はプロとして、自らが描く理想のフィギュアスケートを追求するという。その挑戦でも4回転半ジャンプの成功が柱になる。

 まだ27歳と若い。新たなステージでどんな世界を見せてくれるか楽しみだ。技術をさらに磨き、大技を完成させる日を待ちたい。

 本県のファンからは「アイスショーなどで来てほしい」と期待する声が聞かれる。最高峰の滑りに間近で触れ、新潟でも競技の裾野が広がることを期待したい。