
新潟県立病院と共に、県内に医療ネットワークを築いてきたJA県厚生連病院も深刻な財政危機に陥っている。第4回目からは厚生連病院編。その背景や処方箋について県立病院に続き考える。(7回続きの4)
JA県厚生連が深刻な経営危機を公表してからわずか13日後の7月23日。県厚生連病院に住民の根幹的な医療を託す新潟県内6市(糸魚川、佐渡、小千谷、柏崎、村上、妙高)の市長らが上京し、松本剛明総務相に財政支援を直談判した。
「民間は採算が取れない場合、絶対撤退する。でも(県厚生連は)撤退できない理由がある。それは公的病院医療法第31条で定める「公的医療機関」のうち、都道府県や市町村といった公立を除く民間などの病院を指す。ページ下部に詳しい解説を掲載。だから。地域医療を担ってきた歴史がある」
総務相への要望後、村上市の高橋邦芳市長が県厚生連の胸の内を代弁するかのように窮状を訴えた。
6市にとって「厚生連病院撤退」のシナリオは、自治体の存立基盤を大きく揺るがす深刻な問題だ。
さらに6市は8月下旬、花角英世知事と面会し、迫った。「地域医療確保のため、県も主体的に責任を果たしていただきたい」
この「責任」の一つは公費支援を意味する。県立病院は例年、県の一般会計予算からの繰入が100億〜150億円に上るのに対し、県厚生連病院は県や地元自治体から計15億〜20億円程度。共に新潟県の医療を支えてきたが、公費支援には大きな開きがある。
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へき地医療のとりで-。農村の無医地区の解消と安価な医療の提供を目指した厚生連病院は、戦前から県内にも根付いてきた。新潟県では1928年に、県北の胎内地域で医療事業を始めた。
「家人一人が大病を患うと一家がつぶれる」。そう例えられるほど医療に大きなお金が必要だった昭和初期も、貧しい農村部の命を守り続けた。
県厚生連の年史や労働組合記念誌などによると、48年には12病院・22診療所を運営。ただ県厚生連が現在の組織体となった52年より前から、病院事業は既に不採算部門とみなされ、農業振興部門からは「厄介視」されていたという。
一方で、住民や患者からは頼りにされていた。
「病院だけで、病院を守るのは難しい。地域の人から必要とされなければ、病院はなくなってしまう」。日頃から患者と接する病院職員でつくる労働組合の一つ、県厚生連労組の和田祐輔執行委員長は地域と紡いできた関係を説明する。
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源流から100年近い歴史を重ねる県厚生連病院は県内の大切な...











