
「資料が失われると誰も後から検証できなくなる」と、公文書保管の重要性などを語る吉田律人さん=横浜市の横浜都市発展記念館
1964年6月に新潟県を襲った新潟地震1964年6月16日午後1時ごろに発生した地震。新潟県沖から山形県沖に広がる断層が引き起こした。震源は粟島付近で、マグニチュードは7・5。新潟県内の最大震度は、当時の観測方法で震度5だった。新潟県の資料によると、県内の死者が14人、負傷者は316人。新潟市では液状化現象とみられる被害で県営アパートが倒壊し、完成したばかりの昭和大橋が崩落した。製油所の石油タンクで起きた火災が約2週間にわたって続いた。。そのわずか5カ月後の11月に県の復興計画がまとめられた。計画に示された高速道やバイパスなどは時代を経て整備が進み、現在の新潟市の都市機能を支えている。ただ、この復興計画がどのような議論を経て策定されたのかはほとんど明らかになっていない。計画策定から11月で60年。歴史学の専門家からは検証の必要性を訴える声が上がっている。
新潟地震の県復興計画は地震から27日後の64年7月、専門家らで組織する「災害復興委員会」で議論が始まり、11月にまとめられた。被害のあったインフラなどの復旧にとどまらず、新潟市の都市化を推し進めるための事業がいくつも盛り込まれた。
計画の一端を示す当時の「災害復興構想図(新潟地区)」には、...
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