かつて水田だった畑を眺める本保信高さん(左)と恵子さん。奥に見える杉林も60年前は田んぼだった=粟島浦村

 1964年6月16日に発生した新潟地震1964年6月16日午後1時ごろに発生した地震。新潟県沖から山形県沖に広がる断層が引き起こした。震源は粟島付近で、マグニチュードは7・5。新潟県内の最大震度は、当時の観測方法で震度5だった。新潟県の資料によると、県内の死者が14人、負傷者は316人。新潟市では液状化現象とみられる被害で県営アパートが倒壊し、完成したばかりの昭和大橋が崩落した。製油所の石油タンクで起きた火災が約2週間にわたって続いた。から60年。震源は、県北の離島・粟島の沖合だった。大きな被害があった新潟市よりも震源に近い新潟県粟島浦村では、人身被害は少なかったものの建物が倒壊。島全体が隆起した。水脈が変わり、それまであった稲作ができなくなり、新潟県内で唯一、コメの取れない村となった。

 「ここら辺がみんな田んぼだったんだ」

 内浦集落に住む本保信高さん(83)は、畑を見渡しながら言った。粟島浦小・中学校から少し上った丘の上。畑のすぐ脇には高々と伸びたスギが連なる。

 「コメができなくなったから、材木にでもなればと、俺が田んぼに苗木を植えたんだ。あれもやがて還暦だ」と、スギの木を見上げた。

 1964年6月16日午後1時過ぎ、新潟地震が起きた。当時、...

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